Posted in 2010年7月17日 ¬ 9:40 AMh.コメントは受け付けていません。
三願転入は、弥陀の本願を源流とし、釈迦、七高僧、親鸞聖人、
覚如上人、蓮如上人、一貫して教えられていることです。
ゆえに、三願転入を否定する者あらば、それは仏教でもないし、
親鸞聖人の教えでもありません。邪義であり、異安心です。
内外廃立が徹底して教えられているか。
聖浄廃立が徹底してとかれているか。
真仮廃立が鮮明にとかれているか。
三願転入の教えがあきらかにされているか。
親鸞聖人の教行信証、蓮如上人の御文章、みなこれ以外に
教えられていることはありません。ゆえに、三願転入の教えに
反する一切を、破っていくことが、親鸞学徒の使命です。
親鸞会では、つねに、三願転入の教えがとかれています。
親鸞会の二千畳で、本当の親鸞聖人の教えを、聞きましょう。
Posted in 2010年5月10日 ¬ 11:43 AMh.コメントは受け付けていません。
歎異抄第一章
弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて、往生をばとぐるなり、と信じて、
念仏申さんと思いたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益に
あずけしめたもうなり。
弥陀の救いは、「平生の一念」であることが明示されている。
どこに?
「念仏申さんと思いたつこころのおこるとき」
どうして、そういうことがいえるのでしょうか。
念仏申さんと思いたつこころのおこる「とき」がどうして、一念(何億分
の一秒よりも短いときをいう) といえるのか。
すなわち摂取不捨の利益にあずかる、と続いている。
摂取不捨の利益とは、絶対の幸福のこと。
「すなわち」 (即) この四字が、読めないのだ。
ちゃんと、「一念」 が明示してあるのだ。
親鸞聖人の教えでは、「すなわち(即)」=「一念」 のこと。
親鸞聖人の教えにおいて、「すなわち(即)」 は、きわめて重要な意味を
持つ。
親鸞聖人の教え=即の教え、をよく理解していないから、
「すなわち」 の四字が、書かれてあるのに、読めないのだ。
歎異抄を書いた人は、親鸞聖人の教えをよく理解していたことが、
推察される。
高森顕徹先生から聞かせていただかないと、もうわからない「すなわち」
でした。
親鸞会では、毎月、高森顕徹先生のお話があります。
親鸞会のことを知りたい方は、ホームページをご覧ください。
Posted in 2010年4月16日 ¬ 3:00 PMh.コメントは受け付けていません。
高森顕徹先生から、常日頃聞かせて頂いていることを書きます。
仏教は、後生の一大事を知るところからはじまり、後生の一大事の解決
で終わります。 ですから、後生の一大事がわからなければ、仏教は
はじまりません。
親鸞聖人の教えといっても、仏教以外にはありません。
「さらに親鸞、めずらしき法をひろめず、釈迦の教法を、われも信じ、
人にも教え聞かしむるばかりなり」 と仰言っています。
仏教が分からない、親鸞聖人の教えがわからないのは、
そもそも、スタートである“後生の一大事” がまったくわかっていない
のが原因です。
浄土真宗の門徒、といっても、
「念仏さえ称えていれば、死んだら極楽、死んだら仏」 と、
寝とぼけたことを聞かされている人が、ほとんどです。
いや、聞かされているどころか、ほとんどは、葬式や法事以外に
寺に用事がないのが実態。
もう廃れきっている、親鸞聖人の教えのカケラも無い、のが現状です。
仏教は、後生の一大事にはじまり、後生の一大事の解決に終わる。
仏教は、後生の一大事と、その解決の方法を教えられたもの。
今日、どこにこのように教えてくださる方があるでしょうか。
親鸞会では、本当の親鸞聖人の教えが説かれています。
親鸞会で、後生の一大事とその解決を、共に聞かせて頂きましょう。
Posted in 2010年3月4日 ¬ 10:36 AMh.コメントは受け付けていません。
高森顕徹先生からお聞きしたことを書いています。
苦悩の根元は、「無明の闇」 一つ、と、親鸞聖人は断定されています。
苦悩の根元とその解決の道を教えられたのが仏教であり、親鸞聖人ですから、
お聖教のなかにも、たくさん出てくる言葉です。
「自力(の心)」 「疑情」 「疑網」 「二心」 「不定の心」 なども、みな
無明の闇と同じです。言葉が違うだけで、中身は同じです。
この無明の闇とは、後生暗い心。
100%確実な未来が後生。その後生があるやら、ないやらさっぱりわからない。
お先真っ暗な状態です。 しかも、いつ、その後生がやってくるかわからない。
生きているとは、まさに、真っ暗がりの中を、目隠しして突っ走っているような
もの。
だから、不安なんです。 なにを手に入れても。
お金を手に入れても、金メダルをとっても、総理大臣になっても、有名人に
なっても、この無明の闇を解決しないかぎり、絶対に安心も満足もありません。
高森顕徹先生は、その本当の親鸞聖人の教えを、ただひたすら、説き続けて
おられます。
親鸞会は、本当の親鸞聖人の教えをあきらかにする、これ一つが存在目的
であり、その他は一切ありません。
親鸞会でのご法話に参詣しましょう。
Posted in 2010年2月9日 ¬ 11:40 AMh.コメントは受け付けていません。
無明の闇について、話をしていました。
無明の闇とは、後生暗い心のこと。
後生とは一息切れたら後生。吸う息吐く息とふれあっている。
生ある者は必ず死に帰す、と言われるように、どんな人も死をまぬがれることはできません。
死は私たちの100%確実な未来です。
その、確実な未来である後生が、暗い。
暗いとは、ハッキリしない、わからない、ということ。
死んだら、どうなるのか。
死んだ後は、あるのか、ないのか。
死んだ後があるなら、楽しい世界なのか、苦しい世界なのか。
みなさんは、死んだらどうなると思っていますか?
ある、と言う人もあるでしょう。
無い、という人もあるでしょう。
わからない、という人もあると思います。
では、死後はある、という人に尋ねます。
どんな状態なのですか?楽しい世界なのですか?それとも苦しい世界なのですか?
ハッキリしていますか?
すると、あるんじゃないか、と思う、程度の返答。
死後は何にも無くなる、という人に、尋ねます。
あなたの主張の根拠はなんですか?
肉親が死んだとき、無になった、と思えますか?
冥福を祈ったりしませんか?
すると、無いと思っている、という返事。
どっちもハッキリしないんです。お先真っ暗な状態なのです。
次回に続けたいと思います。
親鸞会では、親鸞聖人の本当の教えをお伝えしています。
今日、浄土真宗といっても葬式仏教、法事仏教となり、正しい親鸞聖人の教えは
まったくといっていいほど、とかれていません。
親鸞会で、高森顕徹先生より、真実の仏教を共に聞かせてもらいたいと思います。
Posted in 2010年1月6日 ¬ 1:51 PMh.コメントは受け付けていません。
高森顕徹先生から聞かせて頂いている阿弥陀如来の本願について、話をしていました。
大宇宙の仏の先生である阿弥陀如来は、
「我を信じよ、どんな人をも 必ず救う 絶対の幸福に」 と誓われています。
すべての人間は、みな苦しんでいる。
大統領からホームレスに至るまで、金、財産、地位、名誉、家族などの有無に関係なく
苦しみ悩んでいる。 どうしてなのか。すべての人間を苦しめている元凶は何なのか。
阿弥陀如来は、五劫という長期間、徹底調査され、すべての人の苦しみ悩みの根元は
「無明の闇」という暗い心である、とつきとめられました。
では、無明の闇とは、なにか。
高森顕徹先生の書かれた「なぜ生きる」 に詳しく書かれていますので、それを読んで
頂けたらと思いますが、ここでは簡単に説明したいと思います。
無明とは明かりが無い、暗い心をいいます。
暗いとは、ハッキリしない、わからない、ということです。
何に暗いのかといいますと、後生に暗い心だけを、無明の闇といいます。
後生とは、一息切れたら後生です。
後生と聞くと、遠い先のことだと思っていますが、そうではありません。
吸った息が吐き出せなければ、吐いた息が吸えなければ、後生です。
吸う息、吐く息とふれあっているのが後生です。
Posted in 2009年12月19日 ¬ 10:21 AMh.コメントは受け付けていません。
本師本仏の阿弥陀如来には、48の本願(お約束)があります。
なかでも、阿弥陀仏の本心が誓われているのが、18番目の本願です。
選択本願、王本願とも言われます。
釈迦が仏教を説かれた目的も、この18願一つを説かれるためでした。
高森顕徹先生も、常に弥陀の本願一つを説かれています。
18願は漢字で36文字。
阿弥陀仏は、十方衆生(すべての人)は、逆謗の屍(五逆罪、謗法罪を造り、
金輪際助かる縁手がかりの無い者)とみてとられ、そういう者を、必ず生まれさせる、
と本願に誓われています。
「若不生者 不取正覚」 (もし生まれさせることができなければ、正覚(仏の命)を捨てましょう)
阿弥陀仏は、命をかけて、必ず生まれさせる、と誓われています。
では、なにを、どのように、生まれさせる、と仰言っているのでしょうか。
親鸞聖人は、
「若不生者の誓ゆえ、信楽まことに時いたり
一念慶喜する人は、往生必ず定まりぬ」
と、仰言っています。
阿弥陀仏が命をかけて誓っておられるから、必ず信楽の心に生まれる時がくるのだ、
と仰言っています。暗い心を明るい心に生まれさせる、と弥陀は誓っておられるのです。
では、暗い心とはなんなのでしょうか。高森顕徹先生から教えて頂いたことを、
続けて書かせていただきます。
Posted in 2009年12月2日 ¬ 3:53 PMh.コメントは受け付けていません。
高森顕徹先生が、常に教えて下さることは、阿弥陀仏の本願ただ一つです。
七高僧、親鸞聖人、蓮如上人、歴代の善知識方は、みな弥陀の本願以外に
とかれてはいません。 それはお釈迦様が生涯、阿弥陀仏の本願しか説いて
おられないから、当然のことであります。
私たちは、阿弥陀仏の本願によらねば、絶対に救われることはありません。
阿弥陀仏は、
「すべての人を、必ず助ける、絶対の幸福に」
と誓われています。 「すべての人」と約束をしておられる仏は、阿弥陀仏
だけです。 では、阿弥陀仏は、約束の相手である十方衆生を、どうみて
とられているのか。
唯除逆謗と、弥陀は仰言っています。
「唯除」とは、金輪際助かる縁手がかりのない者。
「逆謗」とは、五逆罪をつくっている者、謗法罪を犯している者。
すべての人間は、逆謗の屍、とみてとられ、それを、
「若し生まれずは、正覚を取らじ」 と、必ず生まれさせてみせる、
と命をかけて誓われているのです。
ゆえに、阿弥陀如来の本願を、親鸞聖人は若不生者の誓い、とも
言われているのです。 親鸞聖人も、高森顕徹先生も、この「生まれさせる」とは、
死んでからではないぞ、生きている現在だぞ、と、私たちが聞き誤り
やすいところを正してくださっています。
Posted in 2009年11月13日 ¬ 3:49 PMh.コメントは受け付けていません。
高森顕徹先生が常に説かれる、「信心決定」(しんじんけつじょう、と読む)とは、
どんなことなのでしょうか。
信心決定は、信心獲得(しんじんぎゃくとく)とも言われます。同じことです。
蓮如上人は、「信心獲得す、というは第18の願を心得るなり」
と、御文章に書かれています。
信心獲得=信心獲得=第18の願を心得る
まず、第18の願とは、なんでしょうか。
阿弥陀仏の本願は、全部で48あり、これを弥陀の48願といいます。
その中で、阿弥陀仏が本心を誓われたのが、18番目の願であり、
この願のことを、ここで「第18の願」と言われています。
阿弥陀仏の本心が誓われているので、選択本願、王本願とも言われます。
では、阿弥陀仏は18願でどのような約束をされているのでしょうか。
今日の言葉でいいますと、
「すべての人は、金輪際助からない極悪人である。
我を信じよ、必ず助ける、絶対の幸福に」 となります。
お釈迦様も、親鸞聖人も、そして今日高森顕徹先生も、常に教えておられる
のは、この阿弥陀仏の本願ただ一つであります。
正信偈には、「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」と書かれています。
まず、本願とは、誓願ともいい、約束のことです。 約束には必ず相手が
あります。阿弥陀仏の約束の相手は、“すべての人”です。この中に入らない
人は一人もありません。こんな約束の相手が広い本願は他にありませんので、
阿弥陀仏の本願を弘誓、ともいわれます。他のいかなる諸仏もできない約束
なのです。すべての人は、この阿弥陀仏の本願によらねば、絶対に助かり
ません。
では、阿弥陀仏は、約束の相手であるすべての人を、どのように見てとって
おられるのでしょうか。
Posted in 2009年9月26日 ¬ 3:59 PMh.コメントは受け付けていません。
高森顕徹先生が、毎回、ご説法をはじめられる前に述べられる、
「あわれ、あわれ
存命のうちに、
みなみな、信心決定あれかしと、
朝夕思いはんべり
まことに宿善まかせとはいいながら、述懐の心、しばらくもやむことなし」
という、蓮如上人の御遺言について、話をしていました。
まず、最初に、「あわれ、あわれ」と蓮如上人は仰言っています。
「あわれだなあ、かわいそうだなあ、不憫だなあ」 と、お亡くなりになる直前の
蓮如上人が、生きている人たちに対して仰言っています。
ふつうは逆ですよね。生きている人たちが、死んでいかねばならない人に対して、
かわいそうだなあ、あわれだなあ、と言います。
では、蓮如上人は、なにを、「かわいそうだ、不憫だ」と言われているのでしょうか。
「存命のうちに」とは、命のある間に、ということ。死んでからでは間に合いませんよ。
生きているときが勝負ですよ、ということ。
「みなみな」とは、みんなの人に。すべての人に。
「信心決定あれかし」 信心決定(しんじんけつじょう、と読みます)してもらいたい。
「朝夕思いはんべり」 この蓮如、朝から晩まで思い続けていることは、このことばかりだ。
以上でおわかりのように、蓮如上人が85歳で亡くなるまで、一日中思い続けて
おられたことは、「命のある間に、みんなの人に信心決定してもらいたい」 これ一つ
であったことが、おわかりでしょう。
祖師親鸞聖人も、私たちに願っておられることは、「信心決定」これ一つであります。
ですから、「信心決定」ということが、わからなければ、親鸞聖人や蓮如上人の教えは
絶対にわかりませんし、浄土真宗にはなりません。
高森顕徹先生は、つねに、ご説法で、信心決定とはどういうことかを、お話下さって
います。