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還相廻向について

還相廻向とは、まず還相とは、還来穢国の相状、を略した言葉です。

穢国とは、穢れた国、ということで、私たちが住む娑婆世界のことです。

煩悩のかたまりの人間が住む世界は、穢れており、苦しみ、悩みに満ちて

います。 還来とは、還ってくる、ということです。

阿弥陀如来に平生に救い取られた人は、一息切れれば弥陀の浄土へ

往生しますが、そこで八功徳水の温泉につかって、百味の飲食たらふく

たべて、ゆっくりやすもう、という気持ちにはもうなれません。

親鸞聖人は、御臨末に、「我が歳きわまりて、安養浄土に還帰すといえども、

和歌の浦曲の片男波のよせかけよせかけかえらんに同じ」

と仰言っています。「親鸞、一度は極楽へ行くが、すぐにかえってくるからな」

との仰せです。苦しみ悩む衆生を、再度せずにおれなくなるのです。

その還相のお働きも、弥陀より賜わりますから、還相廻向、と言われるのです。

高森顕徹先生のお話は、親鸞会の会館で聞かせて頂くことができます。

親鸞会の行事案内は、ホームページをご覧ください。

高森顕徹先生からお聞きしたこと(二種の廻向あり)

阿弥陀如来の救いとは、二種の廻向を、弥陀より賜わることです。

これを、正信偈には、往還廻向は他力による、とかかれています。

往還廻向とは、往相廻向、還相廻向の二つです。

往相とは、往生浄土の相状、を略した言葉です。

阿弥陀如来に一念で救われ、往生一定になった人は、一日生きれば

一日、一夜あければ一夜、極楽へ極楽へと近づいています。これが

往生浄土の相状、です。それは阿弥陀如来から賜わるものですから、

往相廻向、といいます。

では、還相廻向とはなんでしょうか。

親鸞会では、750回忌法要が行われ、そこでお聞きしました。

親鸞会で、本当の親鸞聖人の教えを学びましょう。

高森顕徹先生から、因果の道理のお話を聞きました

先日、富山県射水市の親鸞会館で、高森顕徹先生より、因果の道理の

お話を聞かせて頂きました。

因果の道理は仏教の根幹であり、この根幹がわからねば、仏教は絶対に

わかりません。仏教の真髄をあきらかにされた親鸞聖人の教えも、また、

わかりません。

道理とは、三世十方をつらぬくものをいいます。

いつでも、どこでも、かわらないこと、正しいことを、道理、といいます。

仏教は、そんな道理を二千六百年前から、お釈迦様は教え続けられて

いるのです。

因果とは、原因と結果、ということで、すべての結果には、必ず、原因が

あります。これだけは原因無し、ということは絶対にありません。

どんな小さな結果にも、それ相応の原因があるのです。

仏教の因果とは、正確に言えば、因縁果、ということです。

さて、これはどういうことでしょうか。

親鸞会では、毎月、富山県の二千畳でご法話が開かれています。

親鸞会で、ほんとうの仏教を聞きましょう。

高森顕徹先生から、後生の一大事を聞かせて頂く

「後生」と聞くと、遠い話で、自分とは関係ないこと

のように思っていますが、吸った息が吐き出せなければ

そのときから後生ですから、今生(こんじょう)と

後生(ごしょう)は触れ合っている、ということです。

しかも、100%確実な未来です。

一生涯、地震や火事に遭わない、という人はあるでしょう。

しかし、死なない人は一人もいません。

次に「一大事」とは、どんなことを言われるのでしょうか。

仏教にこんな話が伝えられています。

 ある時お釈迦様が托鉢中、大きな橋の上で、あたりを

はばかりながら一人の娘が、しきりと袂へ石を入れている

のを御覧になられました。

 自殺の準備に違いない、と知られたお釈迦様は、

早速近寄られ優しくその事情を尋ねられると、相手が

お釈迦様とわかった娘は、心を開いてこう打ち明けました。

「お恥ずかしいことですが、ある人を愛しましたが、

今は捨てられてしまいました。世間の眼は冷たく、

おなかの子の将来などを考えますと、死んだ方が

どんなにましだろうと苦しみます。

どうかこのまま死なせてくださいませ」

と娘はよよと泣き崩れました。

 そのときお釈迦様は哀れに思われ、こうさとされています。

「愚かなそなたには、譬えをもって教えよう。

ある処に、毎日、重荷を積んだ車を朝から晩まで引かねば

ならぬ牛がいたのだ。

 つくづくその牛は思った。

『なぜオレは毎日こんなに苦しまねばならぬのか、

 自分を苦しめているものは一体何なのだろう?

 そうだ!

 この車さえなければオレは苦しまなくてもよいのだ』

 牛は車をこわすことを決意した。

 ある日、猛然と走って、車を大きな石に打ち当てて、

木っ端微塵に壊してしまったのだ。

 ところが飼い主は、こんな乱暴な牛には、頑丈な車でなけ

ればまた壊されると、やがて鋼鉄製の車を造ってきた。

それは壊した車の何十倍、何百倍の重さであった。

 その車で重荷を同じように毎日引かせられ、

以前の何百倍何千倍苦しむようになった牛は、

深く後悔したが後のまつりであった。

 牛がちょうど、この車さえ壊せば苦しまなくてもよいと

思ったのと同じように、そなたはこの肉体さえ壊せば楽に

なれると思っているのだろう。

そなたには判らないだろうが、死ねばもっと苦しい世界へ

飛び込まなければならないのだ。その苦しみは、この世の

どんな苦しみよりもおそろしい苦しみなのだよ」

と言われています。

 この話は、すべての人に死ねば取り返しのつかない一大事

のあることを、お釈迦様が教えられたものです。

これを後生の一大事といわれます。

 この後生の一大事の解決をして、大安心、大満足、

「人間に生まれてきたのはこの幸せになるためであった!」

と、無上の幸福をえることこそが、仏教を聞く目的であり、

人生の目的なのです。

高森顕徹先生から、後生の一大事あることと、その解決の

道を聞かせて頂きましょう。 親鸞会のご法話は、

親鸞会館で行われています。

因果の道理とは何か?

原因と結果の関係は、次のように教えられています。

善因善果 悪因悪果 自因自果

よい原因はよい結果、悪い原因は悪い結果を引き起こす、

ということです。よい種をまいて、悪い結果があらわれること

もないし、悪い種をまいて、よい結果があらわれることも絶対

にありません。蒔いた種と同じものしかはえてはこないからです。

そして、よいのも悪いのも、自分のまいたタネが自分にあらわ

れるのです。ここでタネとは行いのことであり、結果とは運命

のことです。自分の運命のすべては、自分の行為が生み出す

ものであり、それは万に1つも例外はないと教えられている

のが仏教であり、親鸞聖人なのです。

親鸞会では、その親鸞聖人の本当の教えが説かれています。

親鸞会のご法話の案内は、ホームページをご覧ください。

因果の道理とは?

私たちが最も知りたい運命は、何によって決まるのか。

一番知りたい運命の、原因と結果の関係を教えられた

のが、仏教の因果の道理です。

道理とは、三世十方をつらぬくものをいいます。

いわゆる、いつでも、どこでも、もう変わらないこと、

ただしいことです。

因果とは、原因と結果、ということです。

原因無しにおきる結果は万に一つもない。結果には

必ず原因がある。

では、原因と結果との関係はどうなっているのでしょう。

それについて、次回お話したいと思います。

高森顕徹先生は、富山県の親鸞会の会館で話を

されています。親鸞会では、親鸞聖人の本当の教え

がとかれています。

高森顕徹先生から因果の道理聞かせて頂く

仏教の根幹は、因果の道理。

ですから、因果の道理がわからないと、仏教は一切わかりません。

とくに仏教では、私たちが一番知りたい運命の、原因と結果の

関係を教えられています。 私たちは何のために生まれてきたのか、

生きているのか。人生の目的は、幸福という運命を得るためでは

ないでしょうか。

しかし、運命ほど不思議なものはありません。

なぜ、日本に生まれたのか、男に生まれたのか、女に生まれたのか、

この両親の子として生まれたのか。 また、ちょっとの違いで、

死んだり、生きたり。 運命はわからない、と、みなあきらめていますが、

すべての人が一番知りたい運命は何によってきまるのかが、仏教で

あきらかにされているのです。

親鸞会では、本当の仏教があきらかにされています。

親鸞会で、聞いてください。

仏教の根幹、因果の道理

仏教の根幹が、因果の道理です。

根幹とは、根っこであり、幹である、ということです。

根っこがなければ、木は枯れてしまいますし、幹を切ったら、木は倒れてしまいます。

釈迦の説かれたお経は、七千余巻の一切経となって残っていますが、どのお経を

読んでも、すべて因果の道理で貫かれています。ゆえに、因果の道理を否定したら、

仏教でもないし、親鸞聖人の教えでもありません。外道です。

その因果の道理とは、

善因善果

悪因悪果

自因自果   の教えです。

この因果の道理が、知らされたら、どうなるでしょうか。

必ず、廃悪修善の心が出てくるのです。

なぜか。みんな悪い運命は嫌です。だから、悪いことをしないようにしよう、と、

悪をおそれる気持ちがでてきます。

みんな幸せを求めています。それには善い行いをしよう、と善に向かいます。

だから、必ず、廃悪修善の気持ちが出てくるのです。

これについては、次回も詳しく話したいと思います。

高森顕徹先生は、常に、因果の道理を徹底して教えてくださいます。

18願だけ聞けばよい、の邪説

教行信証を貫く親鸞聖人の教えは、三願転入以外にないことは、

前回もお話しました。これは、弥陀の本願を源流とし、釈迦、七高僧、

親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人と、みな共通されています。

ゆえに、三願転入を否定する者あれば、親鸞聖人の教えでもなけ

れば、仏教でもありません。

「18願だけでよいのだ。19願、20願は不要」という、輩があります。

三願は弥陀のお計らいなのに、阿弥陀仏より偉い人がいるそうな。

親鸞聖人は、3願は孤立したものではなく、真仮の関係にあるのだ、

とハッキリおっしゃっています。

願海につきて、真あり、仮あり (教行信証)

真とは真実、仮とは方便。

そして、18願は真で、19、20願は仮とおっしゃっています。

つまり、18願真実の世界へ入れるための、方便(手段)が、19、20

願と言われているのです。

従仮入真、仮(方便)からしか、真(真実)には入れません。

高森顕徹先生は、つねに、真仮をあきらかにされています。

親鸞会で、ほんとうの親鸞聖人の教えを、聞きましょう。

親鸞会では、全国各地でも講演会や勉強会を行っています。

三願転入の教え一つ、明らかにされる高森顕徹先生

我ら親鸞学徒は、

さらに珍しき法をひろめず

親鸞聖人の教えを、

我も信じ、人にも教え聞かしむるばかりなり

もっぱら、親鸞聖人の教えを伝える人を、親鸞学徒といいます。

では、親鸞聖人の教えとは?

「三願転入の教えです」 と答えたら、100点満点です。

「三願転入の教え」 以外に、親鸞聖人の教えは、ありません。

ゆえに、「三願転入の教え」 を否定するものがあれば、

もはや、それは親鸞聖人の教えでもないし、仏教でもない。

まったくの外道です。

「18願だけ、聞けばよいのだ」

「19願は不要」

「三願は独立したもので、無関係」

「親鸞聖人の教えに、善の勧めはない」

「善の勧めは、遠回りの道」

「三願転入は、親鸞聖人だけのこと」

などと言っている輩は、仏教のぶの字も知らない者、と

思って間違いない。

釈迦、七高僧、親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人、みな、

三願転入の教え以外に、とかれていません。

高森顕徹先生もまた、三願転入の教え以外、教えられた

ことはなく、私も、三願転入の教え以外、聞いたことがあり

ません。

親鸞会で、三願転入の教えを聞かせて頂きましょう。

親鸞会の二千畳では、毎月、三願転入の教えが説かれて

います。