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高森顕徹先生から、三願転入の教えを学ぶ

三願転入は、弥陀の本願を源流とし、釈迦、七高僧、親鸞聖人、

覚如上人、蓮如上人、一貫して教えられていることです。

ゆえに、三願転入を否定する者あらば、それは仏教でもないし、

親鸞聖人の教えでもありません。邪義であり、異安心です。

内外廃立が徹底して教えられているか。

聖浄廃立が徹底してとかれているか。

真仮廃立が鮮明にとかれているか。

三願転入の教えがあきらかにされているか。

親鸞聖人の教行信証、蓮如上人の御文章、みなこれ以外に

教えられていることはありません。ゆえに、三願転入の教えに

反する一切を、破っていくことが、親鸞学徒の使命です。

親鸞会では、つねに、三願転入の教えがとかれています。

親鸞会の二千畳で、本当の親鸞聖人の教えを、聞きましょう。

高森顕徹先生から、歎異抄について聞かせて頂く

歎異抄第一章

弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて、往生をばとぐるなり、と信じて、
念仏申さんと思いたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益に
あずけしめたもうなり。

弥陀の救いは、「平生の一念」であることが明示されている。
どこに?
「念仏申さんと思いたつこころのおこるとき」

どうして、そういうことがいえるのでしょうか。
念仏申さんと思いたつこころのおこる「とき」がどうして、一念(何億分
の一秒よりも短いときをいう) といえるのか。

すなわち摂取不捨の利益にあずかる、と続いている。
摂取不捨の利益とは、絶対の幸福のこと。

「すなわち」 (即) この四字が、読めないのだ。
ちゃんと、「一念」 が明示してあるのだ。
親鸞聖人の教えでは、「すなわち(即)」=「一念」 のこと。
親鸞聖人の教えにおいて、「すなわち(即)」 は、きわめて重要な意味を
持つ。

親鸞聖人の教え=即の教え、をよく理解していないから、
「すなわち」 の四字が、書かれてあるのに、読めないのだ。

歎異抄を書いた人は、親鸞聖人の教えをよく理解していたことが、
推察される。

高森顕徹先生から聞かせていただかないと、もうわからない「すなわち」
でした。

親鸞会では、毎月、高森顕徹先生のお話があります。
親鸞会のことを知りたい方は、ホームページをご覧ください。

高森顕徹先生から後生の一大事を教えて頂く

高森顕徹先生から、常日頃聞かせて頂いていることを書きます。

仏教は、後生の一大事を知るところからはじまり、後生の一大事の解決

で終わります。 ですから、後生の一大事がわからなければ、仏教は

はじまりません。

親鸞聖人の教えといっても、仏教以外にはありません。

「さらに親鸞、めずらしき法をひろめず、釈迦の教法を、われも信じ、

人にも教え聞かしむるばかりなり」 と仰言っています。

仏教が分からない、親鸞聖人の教えがわからないのは、

そもそも、スタートである“後生の一大事” がまったくわかっていない

のが原因です。

浄土真宗の門徒、といっても、

「念仏さえ称えていれば、死んだら極楽、死んだら仏」 と、

寝とぼけたことを聞かされている人が、ほとんどです。

いや、聞かされているどころか、ほとんどは、葬式や法事以外に

寺に用事がないのが実態。

もう廃れきっている、親鸞聖人の教えのカケラも無い、のが現状です。

仏教は、後生の一大事にはじまり、後生の一大事の解決に終わる。

仏教は、後生の一大事と、その解決の方法を教えられたもの。

今日、どこにこのように教えてくださる方があるでしょうか。

親鸞会では、本当の親鸞聖人の教えが説かれています。

親鸞会で、後生の一大事とその解決を、共に聞かせて頂きましょう。

高森顕徹先生から、無明の闇について聞かせて頂く

高森顕徹先生からお聞きしたことを書いています。

苦悩の根元は、「無明の闇」 一つ、と、親鸞聖人は断定されています。

苦悩の根元とその解決の道を教えられたのが仏教であり、親鸞聖人ですから、

お聖教のなかにも、たくさん出てくる言葉です。

「自力(の心)」 「疑情」 「疑網」 「二心」 「不定の心」 なども、みな

無明の闇と同じです。言葉が違うだけで、中身は同じです。

この無明の闇とは、後生暗い心。

100%確実な未来が後生。その後生があるやら、ないやらさっぱりわからない。

お先真っ暗な状態です。 しかも、いつ、その後生がやってくるかわからない。

生きているとは、まさに、真っ暗がりの中を、目隠しして突っ走っているような

もの。

だから、不安なんです。 なにを手に入れても。

お金を手に入れても、金メダルをとっても、総理大臣になっても、有名人に

なっても、この無明の闇を解決しないかぎり、絶対に安心も満足もありません。

高森顕徹先生は、その本当の親鸞聖人の教えを、ただひたすら、説き続けて

おられます。

親鸞会は、本当の親鸞聖人の教えをあきらかにする、これ一つが存在目的

であり、その他は一切ありません。

親鸞会でのご法話に参詣しましょう。

高森顕徹先生からお聞きしたこと(無明の闇)

無明の闇について、話をしていました。
無明の闇とは、後生暗い心のこと。

後生とは一息切れたら後生。吸う息吐く息とふれあっている。
生ある者は必ず死に帰す、と言われるように、どんな人も死をまぬがれることはできません。
死は私たちの100%確実な未来です。

その、確実な未来である後生が、暗い。
暗いとは、ハッキリしない、わからない、ということ。

死んだら、どうなるのか。
死んだ後は、あるのか、ないのか。
死んだ後があるなら、楽しい世界なのか、苦しい世界なのか。

みなさんは、死んだらどうなると思っていますか?
ある、と言う人もあるでしょう。
無い、という人もあるでしょう。
わからない、という人もあると思います。

では、死後はある、という人に尋ねます。
どんな状態なのですか?楽しい世界なのですか?それとも苦しい世界なのですか?
ハッキリしていますか?
すると、あるんじゃないか、と思う、程度の返答。

死後は何にも無くなる、という人に、尋ねます。
あなたの主張の根拠はなんですか?
肉親が死んだとき、無になった、と思えますか?
冥福を祈ったりしませんか?
すると、無いと思っている、という返事。

どっちもハッキリしないんです。お先真っ暗な状態なのです。
次回に続けたいと思います。

親鸞会では、親鸞聖人の本当の教えをお伝えしています。
今日、浄土真宗といっても葬式仏教、法事仏教となり、正しい親鸞聖人の教えは
まったくといっていいほど、とかれていません。
親鸞会で、高森顕徹先生より、真実の仏教を共に聞かせてもらいたいと思います。

高森顕徹先生から聞かせて頂いたこと(若不生者の誓い2)

高森顕徹先生から聞かせて頂いている阿弥陀如来の本願について、話をしていました。
大宇宙の仏の先生である阿弥陀如来は、
「我を信じよ、どんな人をも 必ず救う 絶対の幸福に」 と誓われています。

すべての人間は、みな苦しんでいる。
大統領からホームレスに至るまで、金、財産、地位、名誉、家族などの有無に関係なく
苦しみ悩んでいる。 どうしてなのか。すべての人間を苦しめている元凶は何なのか。
阿弥陀如来は、五劫という長期間、徹底調査され、すべての人の苦しみ悩みの根元は
「無明の闇」という暗い心である、とつきとめられました。

では、無明の闇とは、なにか。
高森顕徹先生
の書かれた「なぜ生きる」 に詳しく書かれていますので、それを読んで
頂けたらと思いますが、ここでは簡単に説明したいと思います。

無明とは明かりが無い、暗い心をいいます。
暗いとは、ハッキリしない、わからない、ということです。
何に暗いのかといいますと、後生に暗い心だけを、無明の闇といいます。

後生とは、一息切れたら後生です。
後生と聞くと、遠い先のことだと思っていますが、そうではありません。
吸った息が吐き出せなければ、吐いた息が吸えなければ、後生です。
吸う息、吐く息とふれあっているのが後生です。

高森顕徹先生からお聞きしたこと(若不生者の誓い)

本師本仏の阿弥陀如来には、48の本願(お約束)があります。
なかでも、阿弥陀仏の本心が誓われているのが、18番目の本願です。
選択本願、王本願とも言われます。
釈迦が仏教を説かれた目的も、この18願一つを説かれるためでした。
高森顕徹先生も、常に弥陀の本願一つを説かれています。

18願は漢字で36文字。
阿弥陀仏は、十方衆生(すべての人)は、逆謗の屍(五逆罪、謗法罪を造り、
金輪際助かる縁手がかりの無い者)とみてとられ、そういう者を、必ず生まれさせる、
と本願に誓われています。

「若不生者 不取正覚」 (もし生まれさせることができなければ、正覚(仏の命)を捨てましょう)

阿弥陀仏は、命をかけて、必ず生まれさせる、と誓われています。
では、なにを、どのように、生まれさせる、と仰言っているのでしょうか。

親鸞聖人は、

「若不生者の誓ゆえ、信楽まことに時いたり
一念慶喜する人は、往生必ず定まりぬ」

と、仰言っています。
阿弥陀仏が命をかけて誓っておられるから、必ず信楽の心に生まれる時がくるのだ、
と仰言っています。暗い心を明るい心に生まれさせる、と弥陀は誓っておられるのです。

では、暗い心とはなんなのでしょうか。高森顕徹先生から教えて頂いたことを、
続けて書かせていただきます。

高森顕徹先生のお話(阿弥陀仏の本願)

高森顕徹先生が、常に教えて下さることは、阿弥陀仏の本願ただ一つです。

七高僧、親鸞聖人、蓮如上人、歴代の善知識方は、みな弥陀の本願以外に

とかれてはいません。 それはお釈迦様が生涯、阿弥陀仏の本願しか説いて

おられないから、当然のことであります。

私たちは、阿弥陀仏の本願によらねば、絶対に救われることはありません。

阿弥陀仏は、

「すべての人を、必ず助ける、絶対の幸福に」

と誓われています。 「すべての人」と約束をしておられる仏は、阿弥陀仏

だけです。 では、阿弥陀仏は、約束の相手である十方衆生を、どうみて

とられているのか。

唯除逆謗と、弥陀は仰言っています。

「唯除」とは、金輪際助かる縁手がかりのない者。

「逆謗」とは、五逆罪をつくっている者、謗法罪を犯している者。

すべての人間は、逆謗の屍、とみてとられ、それを、

「若し生まれずは、正覚を取らじ」 と、必ず生まれさせてみせる、

と命をかけて誓われているのです。

ゆえに、阿弥陀如来の本願を、親鸞聖人は若不生者の誓い、とも

言われているのです。 親鸞聖人も、高森顕徹先生も、この「生まれさせる」とは、

死んでからではないぞ、生きている現在だぞ、と、私たちが聞き誤り

やすいところを正してくださっています。

高森顕徹先生のお話(信心決定)

高森顕徹先生が常に説かれる、「信心決定」(しんじんけつじょう、と読む)とは、

どんなことなのでしょうか。

信心決定は、信心獲得(しんじんぎゃくとく)とも言われます。同じことです。

蓮如上人は、「信心獲得す、というは第18の願を心得るなり」

と、御文章に書かれています。

信心獲得=信心獲得=第18の願を心得る

まず、第18の願とは、なんでしょうか。

阿弥陀仏の本願は、全部で48あり、これを弥陀の48願といいます。

その中で、阿弥陀仏が本心を誓われたのが、18番目の願であり、

この願のことを、ここで「第18の願」と言われています。

阿弥陀仏の本心が誓われているので、選択本願、王本願とも言われます。

では、阿弥陀仏は18願でどのような約束をされているのでしょうか。

今日の言葉でいいますと、

「すべての人は、金輪際助からない極悪人である。

我を信じよ、必ず助ける、絶対の幸福に」 となります。

お釈迦様も、親鸞聖人も、そして今日高森顕徹先生も、常に教えておられる

のは、この阿弥陀仏の本願ただ一つであります。

正信偈には、「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」と書かれています。

まず、本願とは、誓願ともいい、約束のことです。 約束には必ず相手が

あります。阿弥陀仏の約束の相手は、“すべての人”です。この中に入らない

人は一人もありません。こんな約束の相手が広い本願は他にありませんので、

阿弥陀仏の本願を弘誓、ともいわれます。他のいかなる諸仏もできない約束

なのです。すべての人は、この阿弥陀仏の本願によらねば、絶対に助かり

ません。

では、阿弥陀仏は、約束の相手であるすべての人を、どのように見てとって

おられるのでしょうか。

高森顕徹先生のお話(2)

高森顕徹先生が、毎回、ご説法をはじめられる前に述べられる、

「あわれ、あわれ

存命のうちに、

みなみな、信心決定あれかしと、

朝夕思いはんべり

まことに宿善まかせとはいいながら、述懐の心、しばらくもやむことなし」

という、蓮如上人の御遺言について、話をしていました。

まず、最初に、「あわれ、あわれ」と蓮如上人は仰言っています。

「あわれだなあ、かわいそうだなあ、不憫だなあ」 と、お亡くなりになる直前の

蓮如上人が、生きている人たちに対して仰言っています。

ふつうは逆ですよね。生きている人たちが、死んでいかねばならない人に対して、

かわいそうだなあ、あわれだなあ、と言います。

では、蓮如上人は、なにを、「かわいそうだ、不憫だ」と言われているのでしょうか。

「存命のうちに」とは、命のある間に、ということ。死んでからでは間に合いませんよ。

生きているときが勝負ですよ、ということ。

「みなみな」とは、みんなの人に。すべての人に。

「信心決定あれかし」 信心決定(しんじんけつじょう、と読みます)してもらいたい。

「朝夕思いはんべり」 この蓮如、朝から晩まで思い続けていることは、このことばかりだ。

以上でおわかりのように、蓮如上人が85歳で亡くなるまで、一日中思い続けて

おられたことは、「命のある間に、みんなの人に信心決定してもらいたい」 これ一つ

であったことが、おわかりでしょう。

祖師親鸞聖人も、私たちに願っておられることは、「信心決定」これ一つであります。

ですから、「信心決定」ということが、わからなければ、親鸞聖人や蓮如上人の教えは

絶対にわかりませんし、浄土真宗にはなりません。

高森顕徹先生は、つねに、ご説法で、信心決定とはどういうことかを、お話下さって

います。