Posted in 2010年1月6日 ¬ 1:51 PMh.コメントは受け付けていません。
高森顕徹先生から聞かせて頂いている阿弥陀如来の本願について、話をしていました。
大宇宙の仏の先生である阿弥陀如来は、
「我を信じよ、どんな人をも 必ず救う 絶対の幸福に」 と誓われています。
すべての人間は、みな苦しんでいる。
大統領からホームレスに至るまで、金、財産、地位、名誉、家族などの有無に関係なく
苦しみ悩んでいる。 どうしてなのか。すべての人間を苦しめている元凶は何なのか。
阿弥陀如来は、五劫という長期間、徹底調査され、すべての人の苦しみ悩みの根元は
「無明の闇」という暗い心である、とつきとめられました。
では、無明の闇とは、なにか。
高森顕徹先生の書かれた「なぜ生きる」 に詳しく書かれていますので、それを読んで
頂けたらと思いますが、ここでは簡単に説明したいと思います。
無明とは明かりが無い、暗い心をいいます。
暗いとは、ハッキリしない、わからない、ということです。
何に暗いのかといいますと、後生に暗い心だけを、無明の闇といいます。
後生とは、一息切れたら後生です。
後生と聞くと、遠い先のことだと思っていますが、そうではありません。
吸った息が吐き出せなければ、吐いた息が吸えなければ、後生です。
吸う息、吐く息とふれあっているのが後生です。
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Posted in 2009年7月9日 ¬ 5:05 PMh.コメントは受け付けていません。
現代の政治や経済、医学などは常に進歩しています。しかしそれで私たちが幸せになれるのかと言えば、そうとは言えないようです。
高森顕徹先生の本『なぜ生きる』をご紹介します。
一人の遭難者を助けるために、レスキュー隊が動員されます。人命は地球よりも重いと言われているからでしょう。「生きることイコール良いこと」、この大原則が否定されたら、延命を目的とする医学をはじめ、政治・経済、科学・芸術、倫理・法律も、すべてが空中分解します。これらは、「どうすればより長く、快適に生きられるか」の追求以外ないからです。
リストラや介護の不安を解決して、安心して生きられるようにするのが、政治や経済の役目でしょう。昔の洗濯は中腰のまま洗濯板に衣類を押しつけ、固くしぼりあげる重労働だった。「洗多苦」とよばれるほどでしたが、今はボタン一つ押すだけ。科学技術の進歩で、生活が楽になったことは否めません。人間関係のトラブルを解消し、気持ちよく生きられるようにするのが倫理や法律です。毎日、仕事仕事では大変なので、明日への活力剤として、芸術やスポーツがあります。
これらはみんな、「どうやって苦しい人生、楽しく生きるか」の努力です。「人類への貢献」といわれるものも、この「生き方」の範疇以外のものではありません。
「生き方」の問題……。
走ることに置き換えれば、「走り方」の問題になります。
政治や経済、科学や医学は、例えて言えば、より長く、より快適に走ることが出来るようにサポートしてくれるもの。
そうなると、それらの進歩・発展は、確かにうれしいことですが、それがそのまま私たちの幸せになるかというと、そうは言えないようです。
走る人にとって、最も大切なのは、「ゴール」ですから、そのゴールがハッキリしていてこそ、走ることに意味があるし、私たちをサポートしてくれるものに、だから感謝できるのだと思いました。
「走る」ことで言えば、「ゴール」。
じゃあ、「生きる」ことで言う「ゴール」、「生きる目的」は何だろう?
自然と、こんな疑問が起きてきました。
高森顕徹先生は、親鸞聖人の教えを通して、この疑問にはっきりと答えて下さいました。
親鸞会は、その親鸞聖人の教えを正確に伝えるための集まりであることがわかります。
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Posted in 2009年5月13日 ¬ 3:51 PMh.コメントは受け付けていません。
浄土真宗親鸞会の法話会では、浄土真宗の教えを親鸞聖人、蓮如上人の言葉から詳しく教えて頂きますが、時に、歴史上の偉人のエピソードを通して話をされることもよくあります。
そのような小話がたくさん掲載されているのが高森顕徹先生の書かれた『光に向かって100の花束』です。
その中の一つの小話に、こんなのがあります。
徳川家康が、「この世で一番おいしいものは何か述べよ」と周りの家臣たちに尋ねたお話です。ある者は「酒」といい、ある者は「菓子」、「果物」と、好みの嗜好物をあげたのですが、いずれの答えにも家康は不満げでした。
そこで、同様に局のお梶に対しても尋ねると、「一番おいしいものは塩でございます」と、お梶はきっぱり答えました。「なるほど、それでは一番まずいものはなにか」重ねて尋ね、それに対してもお梶は「一番まずいものは塩でございます」と無造作に答えました。
「さすがお梶である」 家康は、彼女の聡明さに感心したという。
塩は味の素であり、あらゆる味を活かすものだから、一番おいしいものに間違いありません。また、すべての味を殺すのも塩ですから、一番まずいものでもあります。さらに直言すれば、本来塩は、おいしいものでも、まずいものでもなく、サジ加減一つで変化する。塩は味の材料にすぎないので、これをこなすサジ加減こそ、味の素であることを道破したところに、お梶の答弁が妙答として、万人をうなずかせた、というお話です。
高森顕徹先生は、健康も財宝も名誉も幸福の材料にすぎず、これらを自在にこなしきることこそ、人生の要諦であろう、と教えてくださっています。
おいしい料理には、確かにおいしい食材が必要。しかし何よりも、その材料を活かす腕が重要だとわかります。
高森顕徹先生から教えていただいて、人生への視点がガラッと変わりました。
今までの人生は、良い食材さえ揃えばうまい料理ができる、と誤解していたのだな、と思いました。
高森顕徹先生の本は、私たちの盲点になっているところに、「ハッ」と気づかせる内容が多数掲載されているので、何度も読み返さずにはいられません。
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Posted in 2009年1月18日 ¬ 3:13 PMh.コメントは受け付けていません。
前の日記に続いた記事です。
仕事で悩む知人に対し、私は 「苦しむための人生であるはずないよ。仏教を学んでいるんだけど、“生きてて良かった”と言える人生の目的があると、親鸞聖人は教えられているんだ」と高森顕徹先生から法話で聞かせて頂いたことを伝えました。
すると知人は、「人生の目的なんてあるのか?そんなのそれぞれ一人一人が自分で探して見つけるものだろう?」と言います。
「いや、人生の目的は、全ての人に共通するたった一つの目的の事なんだ」と、高森顕徹先生から聞かせていただいた親鸞聖人の教えを話をしようとしたのですが、「それは君が仏教を学んでるからそう思うんだ。第一、僕はあまり宗教は好きじゃない」と彼に拒否されてしまいました。
私は、「人生の目的なんてあるはずない」「生きる目的は人それぞれ」という彼の言葉が忘れられず、帰宅してすぐに高森顕徹先生の本を読み直してみたのです。
高森顕徹先生監修の著書「なぜ生きる」には、プラトンの紹介がありました。プラトンは”永遠の幸福は万人に共通した目的”と論じている人です。しかし、永遠の幸福が「万人共通の人生の目的」といえば、「人生の目的は人それぞれだ」と、反論する人もいるでしょう。
それは、人生の目的を、大学合格、恋人を得る、安定した職に就く、マイホーム、大金持ちになる、ノーベル賞を取る、などのことのように考えているから、と書かれてありました。これらは〝とりあえず今はこれを目指す〟という人生の通過駅であり、「目標」と呼ばれるものであって、「人生の目的」とは違うものだとわかりました。親鸞聖人の教えを学ぶまで、このような「生きる目的」と「生きる目標」の違いは聞いたことがありませんでした。高森顕徹先生が伝えておられる親鸞聖人の教えの深さに、驚かされることばかりです。
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