「幸福」と「幸福の材料」の違い-高森顕徹先生の著書より

浄土真宗親鸞会の法話会では、浄土真宗の教えを親鸞聖人、蓮如上人の言葉から詳しく教えて頂きますが、時に、歴史上の偉人のエピソードを通して話をされることもよくあります。
そのような小話がたくさん掲載されているのが高森顕徹先生の書かれた『光に向かって100の花束』です。

その中の一つの小話に、こんなのがあります。

徳川家康が、「この世で一番おいしいものは何か述べよ」と周りの家臣たちに尋ねたお話です。ある者は「酒」といい、ある者は「菓子」、「果物」と、好みの嗜好物をあげたのですが、いずれの答えにも家康は不満げでした。
そこで、同様に局のお梶に対しても尋ねると、「一番おいしいものは塩でございます」と、お梶はきっぱり答えました。「なるほど、それでは一番まずいものはなにか」重ねて尋ね、それに対してもお梶は「一番まずいものは塩でございます」と無造作に答えました。

「さすがお梶である」 家康は、彼女の聡明さに感心したという。

塩は味の素であり、あらゆる味を活かすものだから、一番おいしいものに間違いありません。また、すべての味を殺すのも塩ですから、一番まずいものでもあります。さらに直言すれば、本来塩は、おいしいものでも、まずいものでもなく、サジ加減一つで変化する。塩は味の材料にすぎないので、これをこなすサジ加減こそ、味の素であることを道破したところに、お梶の答弁が妙答として、万人をうなずかせた、というお話です。

高森顕徹先生は、健康も財宝も名誉も幸福の材料にすぎず、これらを自在にこなしきることこそ、人生の要諦であろう、と教えてくださっています。
おいしい料理には、確かにおいしい食材が必要。しかし何よりも、その材料を活かす腕が重要だとわかります。

高森顕徹先生から教えていただいて、人生への視点がガラッと変わりました。
今までの人生は、良い食材さえ揃えばうまい料理ができる、と誤解していたのだな、と思いました。

高森顕徹先生の本は、私たちの盲点になっているところに、「ハッ」と気づかせる内容が多数掲載されているので、何度も読み返さずにはいられません。

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