「生き方」の問題-高森顕徹先生から学ぶ親鸞聖人の教え

現代の政治や経済、医学などは常に進歩しています。しかしそれで私たちが幸せになれるのかと言えば、そうとは言えないようです。
高森顕徹先生の本『なぜ生きる』をご紹介します。

一人の遭難者を助けるために、レスキュー隊が動員されます。人命は地球よりも重いと言われているからでしょう。「生きることイコール良いこと」、この大原則が否定されたら、延命を目的とする医学をはじめ、政治・経済、科学・芸術、倫理・法律も、すべてが空中分解します。これらは、「どうすればより長く、快適に生きられるか」の追求以外ないからです。
リストラや介護の不安を解決して、安心して生きられるようにするのが、政治や経済の役目でしょう。昔の洗濯は中腰のまま洗濯板に衣類を押しつけ、固くしぼりあげる重労働だった。「洗多苦」とよばれるほどでしたが、今はボタン一つ押すだけ。科学技術の進歩で、生活が楽になったことは否めません。人間関係のトラブルを解消し、気持ちよく生きられるようにするのが倫理や法律です。毎日、仕事仕事では大変なので、明日への活力剤として、芸術やスポーツがあります。
これらはみんな、「どうやって苦しい人生、楽しく生きるか」の努力です。「人類への貢献」といわれるものも、この「生き方」の範疇以外のものではありません。

「生き方」の問題……。

走ることに置き換えれば、「走り方」の問題になります。

政治や経済、科学や医学は、例えて言えば、より長く、より快適に走ることが出来るようにサポートしてくれるもの。
そうなると、それらの進歩・発展は、確かにうれしいことですが、それがそのまま私たちの幸せになるかというと、そうは言えないようです。

走る人にとって、最も大切なのは、「ゴール」ですから、そのゴールがハッキリしていてこそ、走ることに意味があるし、私たちをサポートしてくれるものに、だから感謝できるのだと思いました。

「走る」ことで言えば、「ゴール」。
じゃあ、「生きる」ことで言う「ゴール」、「生きる目的」は何だろう?
自然と、こんな疑問が起きてきました。

高森顕徹先生は、親鸞聖人の教えを通して、この疑問にはっきりと答えて下さいました。
親鸞会は、その親鸞聖人の教えを正確に伝えるための集まりであることがわかります。

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